【36歳の妊活】人工授精後の子宮外妊娠

妊活

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1回目の人工授精後に市販の妊娠検査薬で陽性反応が出ましたが、結果は子宮外妊娠でした。

妊活中だったので陽性反応を見た時はとても嬉しかったですが、子宮外妊娠ということが分かった時はとてもショックでした。

入院中に、看護師さんから「まだ若いからまた次頑張ってね」と声をかけていただいた時はとても勇気づけられました。

ここでは、子宮外妊娠の時の体験談をお話ししたいと思います。

実際に体験した子宮外妊娠の兆候

子宮外妊娠と分かる前にはこのような症状がありました。

  • 5週目に入っても胎嚢が見えない。
  • 少量の出血がある。
  • お腹の片方に痛みが出る。

どの症状も妊娠初期にはよく聞く症状なのであまり気にしていませんでしたが、時間が経つにつれ、もしかしたら・・・と思うようになりました。

多くは胎嚢が見えなかったり少量の出血があっても次の診察で問題ないことが多いですが、2回ほど診察を受けても胎嚢が見えないので、もしかしたらという思いが出てきました。

妊娠5週に入っても胎嚢が見えない

妊娠4週後半で第一子を出産した産婦人科に診察に行きました。

第一子の時は妊娠4週後半で胎嚢が見えたので、陽性反応が出た数日後に一般の産婦人科へ。

不妊治療クリニックで人工授精を受けていましたが、その時は第一子を出産した産婦人科へ向かいました。

ドキドキしながら内診室へ入り、先生に診てもらいながら超音波の画面を見ていましたが、胎嚢らしきものはまだ見当たらず。

次の週にまた来て、とのことで、翌週改めて見てもらいましたがやはり胎嚢が見えませんでした。

人工授精で妊娠したので排卵日はほぼ正確であることを考えると5週目で胎嚢が見えないのはもしかしたら何かあるかも、といった雰囲気に。

まずは不妊治療クリニックでの診察を優先するようにとのことで、後日不妊治療クリニックで診察を受けました。

出血がありお腹の右側が痛む

5週目に入った頃から少量の出血がありました。

出血があり胎嚢が見えていない状況で不安を感じましたが、数日するとお腹の右側に強い痛みを感じるようになりました。

初めは「便秘かな?」と思うような感じでしたが次第に便秘のような痛みではなく、冷や汗が出るほどの痛みで、横になっても動けないほど痛みがきつく、歩くのもやっとといった状態でした。

幼稚園の送り迎えがあったので、痛みを我慢しながら行きましたが、歩くだけで精一杯で運転も長時間できない状態だったのでお迎えの後はすぐに家で休みました。

妊娠5週後半に大きい病院に転院→即入院

第一子を出産した病院で2回診察を受けても胎嚢が見えず、後日、不妊治療クリニックで診察を受けました。

その時もやはり胎嚢が見当たらず、その時点ですでに6週目で右側の腹痛の症状があったため、紹介状を書いてもらい即日大きい病院へ転院することになりました。

転院先では即入院の指示

紹介先の病院で救急受付していただき、産婦人科の先生に診てもらうと、すぐ入院してくださいと言われました。

子宮外妊娠の疑いがあること、右側の腹痛があることから、卵管妊娠の場合いつ大量出血が起きてもおかしくない、とのこと。

子どもの幼稚園の準備や入院準備をしたいので一時帰宅したいと伝えると、一時帰宅して病院に戻る前に大量出血をして病院に搬送される前に亡くなった例も実際にあると先生に言われ、そのリスクを了承するなら一時帰宅も認めざるを得ないとのこと。

結果、主人と相談しすぐ入院することに決め、主人には仕事帰りに病院に寄ってもらい入院手続きのあと子どもと2人で私たちが乗ってきた車で帰宅して行きました。

入院期間は人によってそれぞれ、長い人は半年程度になることも

子宮外妊娠は手術をせず経過観察で治まることもあれば、緊急手術で出血部位を切除するケース、抗がん剤を使って子宮外に着床した受精卵を枯渇させるケースと様々なのだそうです。

そのため、入院期間は経過によって数日〜半年以上と幅が大きく経過を見ないと分からないと言われ、とてもショックでした。

次いつ家に帰れるか分からないという状況が入院の日からとても辛く、コロナ禍で子どもとの面会もできない状態だったので、毎日ビデオ通話で義実家で過ごす子どもと話すのが楽しみでした。

毎日採血でHCG値を計測

入院した日は夕方に入院が決まり、病室に案内された時にはすでに外は真っ暗、急に入院することになったので着替えもなくその日は病院着を借り、最低限揃えられるものをお願いし、家族へ連絡することに。

翌朝から毎日採血を行い、HCGの数値が下がっていくかを見ていくことになりました。

緊急手術の可能性もあるため、左手には点滴用の針を常に刺した状態で過ごすため、少し力を入れると針が取れて出血してしまいそうでヒヤヒヤしながら過ごしていました。

入院時はHCG2800程度あり、どこかに着床して頑張っているのだろうということは分かったのですが、どこに着床しているのかは結局分からずじまいでした。

日を追うごとにHCGが下がっていたため、恐らくこのまま体に吸収されていくでしょう、とのことで、ホッとしたのと同時に、せっかく来てくれた赤ちゃんの成長が止まってしまったということに、とても複雑な気持ちになりました。

入院5日目にHCG200以下に→退院

入院5日目の朝、採血後の診察に行くと、先生から「HCGが200以下になってるから今日退院できるよ」と言われ、急に退院が決まりました。

いつになったら外に出られるのだろう、自由に出かけられるのだろう、と不安な日々だったので、やっと子どもにも会える!と、診察の後すぐに主人に連絡し退院手続きを行い、荷物の整理を行いました。

その日の夜、まだ体調が落ち着かない状態でしたが、家族で退院祝いをして過ごしました。

退院後も1ヶ月ほど通院、血液検査でHCG値計測

退院後も通院し血液検査を受け、HCG値の推移を見ていき20以下になったあたりで通院も終わりになりました。

ここまで妊娠が分かってから約2ヶ月ほど。

妊娠したけど残念ながら子宮外に妊娠してしまい、色々と自分で反省点を探しながら複雑な気持ちで過ごす日々でした。

しかし、入院中も看護師さんが励ましてくれたり、また頑張って!と声をかけてくれたことで、また前向きな気持ちになることができました。

中には、

「卵子凍結とか考えても良いかも、私がそれですごく後悔したから」

と体験を踏まえた話をしてくれた看護師さんもいて、年齢的にも体外受精も視野に入れて考えていった方が良いかと思った面もありました。

たった5日間の入院生活でしたが、10日以上いたように感じるほど長く感じました。

5日間の入院生活は一つの経験として子どもを授かることのありがたさ、大切に想う気持ちを改めて感じた日々でした。

約3年後に妊娠、無事安定期へ

子宮外妊娠から再び人工授精を2年ほどトライし、妊娠するも初期流産となったり、体外受精にステップアップ後も初期流産を数回経験しました。

体外受精を始めて1年の間いろんな検査を経て、体外受精5回目に妊娠判定で妊娠の結果をいただくことができ、その後安定期を迎えることができました。

体外受精と同時にタイミングも取っていたので、どちらが着床に至ったのか分かりませんが、可能性としてはタイミングを取った方が着床した可能性もあります。

子宮外妊娠をしても、通水テストや卵管造影検査で異常がなければその後自然妊娠することもあるそうです。

なので、子宮外妊娠したから妊娠は難しいとか、妊娠しにくいというわけではないようです。

不妊治療は今やっていることが本当に合っているのか急に気になったり、体外受精を受けることに対して主人との意見の対立もあり、辛いな、きついなと思うこともありましたが、諦めずに意見をぶつけ合って頑張ってきて本当に良かったと思います。

妊娠時39歳、出産時は40歳を迎えますが、授かった命を大切に子どもを授かることのありがたさを日々感じながら、感謝の気持ちで過ごして行きたいと思います。

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